01/20
こんにちは。
突然ですが今日は、私が心から尊敬する
「黒沢一樹さん」という方について書きたいと思います。
昨年2月に黒沢さんが朝日新聞で取り上げられていて
その記事を偶然見たことがきっかけで、黒沢さんに興味を持ち始めました。
その記事を以下に掲載します(載せて良いのか分かりませんが)
--------------------------------------------------
いつか、咲く「中卒のオレ がむしゃら勉強が変えた」
(朝日新聞:2010/2/21朝刊)
姓はもう、何度変わっただろう。
変わらないのは「一樹」という名前だけだ。「樹木のようにすくすく育ちますように」。そんな願いを込めた、と母親から聞いたことがある。
28年前、母が17歳の時、山口の病院で生まれた。
物心がついた時には九州にいた。「お父さん」と思っていた人は継父で、その人も10歳の頃に病気で亡くなった。
半年後、次の父親が来た。気が短く、すぐ手を挙げた。のど元に包丁を突きつけられたこともある。定職につかず、酒ばかり飲んでいた。そんな中で、弟や妹は増えていった。
「オレが稼がないと、この家壊れるな」。中学生になると、新聞配達で家計を支えた。
高校に行くか金なんてない。そんなことはわかりきっているのに、受験勉強をして公立の工業科に受かった。「何か」が起きることを期待していたのだと思う。
何の手続きもできないまま迎えた入学式の朝。寝転がっていると、高校から電話を受けた母親が聞いてきた。
「どうするのか、って言ってるよ。行かないんでしょ?」
「行かねーよ」
たぶんあの時、一人で生きていく、と決めた。
博多に出て、日本料理屋に勤めた。住み込みで給料は月5万円。朝5時に寮を出て、誰もいない板場で包丁さばきを練習した。いっぱしの料理人になりたい。そんな夢がふくらみ、3年たって東京の有名店で働く話が決まった。
その直後、右手に異変が起きた。握ったまま、指がほとんど動かない。包丁を持つと、すとんと床に落ちた。病院を回っても原因すらわからない。夢どころか、仕事さえ失った。
「オレの人生なんなんだよ」。
町をさまよい、開かない拳で訳もなく人を殴ったこともある。
良くない仲間に誘われるまま、ふらふらと仕事を変えた。そして、19で東京に流れ着いた。
数か月後。歌舞伎町でホストをしていた時、誘われてのぞいた飲み会の中に、黒沢、という女性がいた。
おとなしくて、まじめな人。22歳で、保育士をしているという。
今思えば、生まれて初めて会った「真っ白な人」だったかもしれない。
うそをつかない。裏切らない。そんな当たり前のことがうれしかった。過去を告げても怖がらず、頼もしい人、と言ってくれた。この人といれば、変われるかもしれない。
2年後、結婚した。
「黒沢一樹」。それが新しい名前になった。これまでの付き合いはすべて絶ち、新しく生きていこうと決めた。
「大卒」「高卒以上」。改めて求人誌を繰ると、こんな要件が並んでいる。中卒というだけで取り合ってくれない。
それでもめげず、派遣の仕事と飲食店のバイトのかけ持ちで暮らしをしのいだ。がんばれたのは、妻がいたから。
自分に自信をつけたい。そう思って、資格の勉強を始めた。平日は夜明け前に起きだして問題を解き、通勤電車で参考書を読む。週末は専門学校に通った。
学ぶたびに世界は広がった。それにつれて、自分のことを理解してもらうコツもつかめてきた。2007年、税理士事務所の職員に迎えられた。ほどなく簿記1級にも合格した。26歳になっていた。
がむしゃらな日々に一息ついて、思うようになったことがある。
無学と貧しさは、悲しいくらいつながっている。しんどい思いはいっぱいした。その経験が、戸惑うだれかの役に立たないか。
専門学校で知り合った友人と話し合い、08年秋、職につけない若者のための相談活動を無料で始めることにした。
去年の暮れ、こんあことがあった。自分より少し年下の、20代半ばの男性。「この人で大丈夫か」。そんな顔でこちらを見ている。聞けば、一度営業の仕事に就いたが合わず、あてもなくやめてしまったという。以来、どこも面接すらしてくれず、日雇いの仕事を続けていた。
これまで書いてきた履歴書を見せてもらい、細かく分析した。「自信を持って話せることをアピールするんだ」「向こうが質問したくなる内容にしないと」
同じファミレスで何度も待ち合わせ、何時間も話し込んだ。
「受かった」と電話がったのは、それからすぐだった。「だから言ったろ?大丈夫って」知らずに笑顔がこぼれていた。
一つずつ、確かなものが積みあがっていく。
子どもも2人、授かった。2歳の女の子と、10カ月の男の古。2人とも妻に似て、よく笑う。
あやすとき、右手を添えて抱き上げる。そういえば、少しだけ指が動くようになってきた。
最高の人生を送ることは難しい。でも、悪くない人生を送ることは、きっとできる。
「一人じゃないからね」
相談者にはいつも、こう伝えている。
--------------------------------------------------
私はこの記事が大好きで、2日に1回は必ず全文を読んでいます。
読むたびにはっとさせられるんですよね。
「怠惰な自分、これじゃダメだ」と思います。
以前から、偏差値とか、高学歴とか、容姿が良いとか…
そのようなことにはあまり興味がなくて
それよりも男女問わず
「カッコいい生き方」「素敵な生き方」
をしている人はいないのかな、と思っていました。
そう思っていた矢先に、この新聞記事に出会いました。
この黒沢さんの生き方こそが、私が思う「カッコいい生き方」だと思います。
どんな境遇にあったとしても、言い訳をしないで、絶対に諦めない、愚直でがむしゃらな生き方が、私には衝撃的でした。
私とは正反対の境遇だし、まるで違う人生だとは思います。
ですが、この方から学ぶことは山ほどあるので、自分の人生に少しでも活かせていけたらなと思っています。
長文失礼致しました。
ではでは☆
突然ですが今日は、私が心から尊敬する
「黒沢一樹さん」という方について書きたいと思います。
昨年2月に黒沢さんが朝日新聞で取り上げられていて
その記事を偶然見たことがきっかけで、黒沢さんに興味を持ち始めました。
その記事を以下に掲載します(載せて良いのか分かりませんが)
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いつか、咲く「中卒のオレ がむしゃら勉強が変えた」
(朝日新聞:2010/2/21朝刊)
姓はもう、何度変わっただろう。
変わらないのは「一樹」という名前だけだ。「樹木のようにすくすく育ちますように」。そんな願いを込めた、と母親から聞いたことがある。
28年前、母が17歳の時、山口の病院で生まれた。
物心がついた時には九州にいた。「お父さん」と思っていた人は継父で、その人も10歳の頃に病気で亡くなった。
半年後、次の父親が来た。気が短く、すぐ手を挙げた。のど元に包丁を突きつけられたこともある。定職につかず、酒ばかり飲んでいた。そんな中で、弟や妹は増えていった。
「オレが稼がないと、この家壊れるな」。中学生になると、新聞配達で家計を支えた。
高校に行くか金なんてない。そんなことはわかりきっているのに、受験勉強をして公立の工業科に受かった。「何か」が起きることを期待していたのだと思う。
何の手続きもできないまま迎えた入学式の朝。寝転がっていると、高校から電話を受けた母親が聞いてきた。
「どうするのか、って言ってるよ。行かないんでしょ?」
「行かねーよ」
たぶんあの時、一人で生きていく、と決めた。
博多に出て、日本料理屋に勤めた。住み込みで給料は月5万円。朝5時に寮を出て、誰もいない板場で包丁さばきを練習した。いっぱしの料理人になりたい。そんな夢がふくらみ、3年たって東京の有名店で働く話が決まった。
その直後、右手に異変が起きた。握ったまま、指がほとんど動かない。包丁を持つと、すとんと床に落ちた。病院を回っても原因すらわからない。夢どころか、仕事さえ失った。
「オレの人生なんなんだよ」。
町をさまよい、開かない拳で訳もなく人を殴ったこともある。
良くない仲間に誘われるまま、ふらふらと仕事を変えた。そして、19で東京に流れ着いた。
数か月後。歌舞伎町でホストをしていた時、誘われてのぞいた飲み会の中に、黒沢、という女性がいた。
おとなしくて、まじめな人。22歳で、保育士をしているという。
今思えば、生まれて初めて会った「真っ白な人」だったかもしれない。
うそをつかない。裏切らない。そんな当たり前のことがうれしかった。過去を告げても怖がらず、頼もしい人、と言ってくれた。この人といれば、変われるかもしれない。
2年後、結婚した。
「黒沢一樹」。それが新しい名前になった。これまでの付き合いはすべて絶ち、新しく生きていこうと決めた。
「大卒」「高卒以上」。改めて求人誌を繰ると、こんな要件が並んでいる。中卒というだけで取り合ってくれない。
それでもめげず、派遣の仕事と飲食店のバイトのかけ持ちで暮らしをしのいだ。がんばれたのは、妻がいたから。
自分に自信をつけたい。そう思って、資格の勉強を始めた。平日は夜明け前に起きだして問題を解き、通勤電車で参考書を読む。週末は専門学校に通った。
学ぶたびに世界は広がった。それにつれて、自分のことを理解してもらうコツもつかめてきた。2007年、税理士事務所の職員に迎えられた。ほどなく簿記1級にも合格した。26歳になっていた。
がむしゃらな日々に一息ついて、思うようになったことがある。
無学と貧しさは、悲しいくらいつながっている。しんどい思いはいっぱいした。その経験が、戸惑うだれかの役に立たないか。
専門学校で知り合った友人と話し合い、08年秋、職につけない若者のための相談活動を無料で始めることにした。
去年の暮れ、こんあことがあった。自分より少し年下の、20代半ばの男性。「この人で大丈夫か」。そんな顔でこちらを見ている。聞けば、一度営業の仕事に就いたが合わず、あてもなくやめてしまったという。以来、どこも面接すらしてくれず、日雇いの仕事を続けていた。
これまで書いてきた履歴書を見せてもらい、細かく分析した。「自信を持って話せることをアピールするんだ」「向こうが質問したくなる内容にしないと」
同じファミレスで何度も待ち合わせ、何時間も話し込んだ。
「受かった」と電話がったのは、それからすぐだった。「だから言ったろ?大丈夫って」知らずに笑顔がこぼれていた。
一つずつ、確かなものが積みあがっていく。
子どもも2人、授かった。2歳の女の子と、10カ月の男の古。2人とも妻に似て、よく笑う。
あやすとき、右手を添えて抱き上げる。そういえば、少しだけ指が動くようになってきた。
最高の人生を送ることは難しい。でも、悪くない人生を送ることは、きっとできる。
「一人じゃないからね」
相談者にはいつも、こう伝えている。
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私はこの記事が大好きで、2日に1回は必ず全文を読んでいます。
読むたびにはっとさせられるんですよね。
「怠惰な自分、これじゃダメだ」と思います。
以前から、偏差値とか、高学歴とか、容姿が良いとか…
そのようなことにはあまり興味がなくて
それよりも男女問わず
「カッコいい生き方」「素敵な生き方」
をしている人はいないのかな、と思っていました。
そう思っていた矢先に、この新聞記事に出会いました。
この黒沢さんの生き方こそが、私が思う「カッコいい生き方」だと思います。
どんな境遇にあったとしても、言い訳をしないで、絶対に諦めない、愚直でがむしゃらな生き方が、私には衝撃的でした。
私とは正反対の境遇だし、まるで違う人生だとは思います。
ですが、この方から学ぶことは山ほどあるので、自分の人生に少しでも活かせていけたらなと思っています。
長文失礼致しました。
ではでは☆
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